現実と虚構

おとといの夕刊だったか、宇野常寛という若い評論家が、
21世紀は現実と虚構のパワーバランスが大きく現実の側に傾くであろう、
と書いていた(朝日・サブカル時評)。
他人の物語に感動するより自分の物語に感動したい。
知ることより体験することのほうがずっと楽しい。……
たしかに、もうすでに、そういう時代に入りつつあるような気がする。
才能は尊重されるが、才能の産物はすぐさま共有される。
才能でメシを食おうとすること自体、間違っている、みたいな感覚。
宗教という虚構(数千年続いた)、才能という虚構(数百年続いた)、
そして、ようやくここにきて、虚構の時代の終わりが見えてきた、ということか。
つぎは、国家とか貨幣とか、虚構と現実の狭間にあるものの運命はいかに、
というところだろうか。
いや、国家とか貨幣とかもいっしょなのだろうな。
それらの虚構的な側面はどんどんパワーを失い、リアルな側面のみ肥大する。
虚構と現実のパワーバランスが現実の側に傾く、か。なるほど。(しょっち)