戦争

戦争という言葉と放棄ということばが、
なぜ結びつくのか、昔から疑問に思っていた。
戦争はモノを捨てるように捨てられるものなのか。
「手段」だから放棄できるのか。
捨てたり拾ったりできるものなのか。
国際紛争の解決手段としての戦争を放棄する。
戦争という手段を取らないで解決する。
それ以外の道を取らない。
放棄という言葉を使わずに表現するとしたら、どうなるだろう。
「武力による解決は、計らない、また武力による解決には加担しない」だろうか。
では一方的な、あるいは理不尽な、他国からの攻撃(というものがあるとして)に対しては、どうするのか。
それは、決めておいたほうがいいだろう。
反撃することは「戦争」といえるのか。反撃するから戦争になるのか。
攻められて、反撃して、それが過剰防衛となって、どんどん戦線が広がってゆく、
なんてことはありうる。
戦争については、国の立場でモノを考えるか、個人として考えるかでも、せんぜん違う。
駒として動員される側でしかないのに、国の立場で考えようとすること、そこからくる混乱。
国民一流、経済二流、政治三流。
都議会のヤジや安倍政権の暴走(重要事項を閣議決定してしまう)などでこれは日々証明されているが、
目に余るようだとまた政府与党ポイ捨ての方向に動いてゆくことになるのだろう。(しょっち)