30年前

タマタマ、おさんどんに出発。
祈・無事到着、祈・安産。
そういえば30年前、なにしていたんだろう。
日記を見てみよう。
おや、早速出てきた。1976年6月1日の項。

「月満ちてなお満ち足りぬ、か。ひとつ、ふたつと日を重ねて、
その過剰がどのように物質化するのか。産みの苦しみとして?」

おう、こんなふうに書いている。第一子は予定日より遅れるというが、
ここから半月もずれ込んだのだ(その日々は、3700グラムという
体重に「物質化」した)。

1976年6月16日の項。
「朝6時、九州の母からTEL。女の子、3700グラム、母子共に無事、
と。とうとう出てきた。きのうはまだまだかと思ったが。
すぐ外に出る用があり、タクシーに乗った。きれいな夏空。梅雨の合間の。
女の子、ときいたとき、賭けに勝った、と、まず思った。片岡さんは、なぜあんなに自信たっぷり、絶対男だ、といったのだろう」

そうだ、片岡義男さんにもうすぐ子どもが生まれることを伝えたら、
あの低い声で「絶対男だ」といったのだ。
その当時のぼくには「女の子」が似合わなかったのだろうか?
30年の歳月を一瞬で飛び越え、あの日がよみがえる。(しょっち)