歓心

誕生日。いろんなところに登録してたりするから、
思いがけない「お誕生日おめでとう!」のメールをもらったりする。
あと一年で60歳、ということに実感はもちろんない。
50になったときにも実感などなかったし、40のときにもなかった。
実感ってなんだろうね。痛恨の思い? 遠くまで来たもんだという感慨?
山だと、五合目あたりから山頂にいたるまで、登ったという実感が伴う。
肉体的な、短時間における経験。実感と言うのはそっち系の言葉かも。
かなり長い時間をくぐってきた、というだけでは、
なかなか実感にならないのだろう。
でも、いまや、自分の2倍長く生きてる人は
世界中におそらくひとりもいない、というところまできた。
どんなに長生きしてる人でも、1.6から1.8倍といったところだ。
そんなにかわりゃしない。
って、どうでもいいこと書いてしまった。反省。
閑話休題。あだしごとはさておき。あたしのことはあさってに置いて。
一週間、孫の機嫌に振り回された。朝の不機嫌は寝起きの悪さか。
それに3チャンネルが面白すぎて、じいじの完敗。
幼児の歓心を買うことも関心を奪うこともできない。
敗北感に包まれてばいばーいと家を出ようとする。すると、その瞬間だけ、
こっちを振り向いて、ばいばーい、またね、と言ってくれる。
幸福感が少し湧いて、足取りもやや軽くなる。
この単純さは還暦そのものか。やはり白紙還元、タブララサに向かって、
まっしぐらなのだ。なんとなく実感が湧いてきた。老人力的実感。

せわしさに暗証忘れる五月かな (しょっち)