ケイレン的

渋谷の「イメージ・フォーラム」で『いのちの食べかた』を見てきた。
おもしろかった。刺激的な映像がふんだんに出てくる。
肉や魚、野菜(それから岩塩も!)の「商品生産」をめぐる映像の冒険。
大量生産と大量消費、経済効率、食品生産の工業化・オートメ化、
…と口で言うのは簡単だが、この映画はそれを現場から、
あからさまに、これでもかこれでもかとばかり、みせてくれる。
見たことのない絵柄のオンパレードだ。
対象には装飾的なところや芸術的なところがいっさいないにもかかわらず、
映像は美しかったりする。
それはアンドレ・ブルトンが『ナジャ』で書いたような美、
「美とは痙攣的なものであるか、さもなくば存在しない」
というときの、「ケイレン的なもの」という形容がふさわしい美だ。
そしてそれは、どこか滅びの予感を内包しているようでもあった。
いつか、このシステム全体がガラクタ・廃墟になるであろう、というような。

寒月に影をゆさぶるサラリーマン (しょっち)

この月の終わりの空に鐘冴ゆる  (玉)